「股関節の理学療法」Q&A

「股関節の理学療法」にご参加いただいた皆さまからの質問にお答えします!

Question2 

「股関節外転運動による回転軸の再形成」の中で骨頭を把持して操作する場面があったのですが、慢性疾患を有する術後の患者様では、術後1~2週経過しても創部痛を訴え、遷延している印象があります。創部痛を訴える方でも実施した方が良いのでしょうか?

 

 

Answer

あーーーこれは、慢性疼痛ですね・・・術創部が2週間経過しても痛いというのは、明らかにおかしい。

通常術創部の疼痛は、1週間もすれば軽減していくし、少なくともセラピストの介入を術創部の痛みが邪魔をするようなこともなくなるはずです。 ですので、まず痛みをコントロールしないと、たぶん、何をやっても思うような効果があげられないと思います。術創部に対して、疼痛を抑制するスロー触覚刺激を入力して、痛みのコントロールを行い、次に皮膚や筋膜のリリースを行って、術創部に加わる伸張刺激を減弱させるようにしていき、最終的に術創部を触ったり、動かされても痛くないという運動経験を学習していくべきだと思います。 以下に少し慢性疼痛に対する知見を説明しますね。これは、我々BMTインストラクターが講習内容を作っている時に、参考資料としてまとめたものです。 

「慢性疼痛に対する介入の理論的背景」

強い痛みが持続すると、疼痛の情報処理を行う神経回路に歪みが生じ、非侵害性情報を「痛み」として感じてしまうようになります。従来、疼痛の情報処理を行う神経回路は可塑性が非常に高く、この可塑性の高さが神経回路の歪みを生じやすくさせるといわれてます。正常な疼痛の情報伝達は、侵害刺激を受けると、 視床、 島、 前帯状回、大脳皮質感覚野などが活動しますが、慢性痛を訴える患者は、強い痛みを感じる侵害刺激を加えても、視床の活動が認められないことがわかっています。また、慢性痛を訴える患者は痛みの擬似体験によって不快な情動反応とともに前頭葉、前帯状回、大脳皮質感覚野で活動が観察されるとも報告されています。

こうした研究結果から、慢性痛患者は実際に痛み刺激が加わらなくても、脳内で情動的な痛み経験を重ね、日常的に疼痛経験が繰り返されることで、中枢神経系に可塑的変化を引き起こすと考えられているんです。こうなっちゃうと、物に触れたり、気温の変化といった非侵害性の体性感覚刺激といった、本来であれば痛みとして感じないような刺激にも「痛い」と感じたり、自律神経系、精神・心理系などに加わるさまざまな刺激に対して過敏に反応してしまい、精神的なストレスや緊張時に痛みが増すという状態になります。

慢性疼痛に対する介入は、疼痛の無い運動の経験を通して、神経系のネットワークの再編を図ることが重要であると考えられます。慢性化した疼痛は、しばしば長期間にわたって患者の注意を痛みに引き付け、すべての行動が痛みに束縛されて不活動が起きます。痛みに対する注意の集中化は、痛みを繰り返し確認するような「痛みの反芻(はんすう)」行動を起こします。また、痛みに対する予測が過剰となり、わずかな違和感を感じても予測的に疼痛回避行動が誘発されようになっちゃうんです。痛みの過剰予測は、不安や抑うつ感情を誘発し、痛みが誘発されると考えられる全ての活動を回避させる反応を引き起こします。これは、痛みの恐怖-回避としてよく知られたプロセスです。痛みに焦点づけられた注意は、痛みへの警戒心を過剰に強めるばかりでなく、痛みの主観的な強度を高めてしまいます。疼痛に対する閾値を正常化させるために、情動面への配慮も重要な要素となってきます。

理学療法という側面から、情動系に対するアプローチを考える上で、触覚について興味深い知見があるので紹介しておきます。触覚のほとんどは、太いAβ線維を伝って、いち早く脳へ到達します。ところが、触覚の一部はC線維を伝っていくものもあります。C線維の中にはとくに伝達速度の遅いもの(遅速C線維)があることが知られています。遅速C線維は周波数が高い刺激には反応せず、ゆっくり動く刺激にのみ反応するのが特徴です。遅速C線維は識別感覚系ではなく、原始感覚系として、触刺激によって感情を喚起させる働きがあります。ゆっくり動く刺激により遅速C線維を刺激し、IMRIで血流量の変化を測定すると、本来、ブラシの刺激を識別するはずの体性感覚野ではなく、島が反応します。島は高次な知的機能をつかさどる前頭葉や、感情や情動を起こす辺縁系と神経線維の連絡が行われています。そこで認知や感情と関わりがあると考えられています。以上のことから、遅速C線維は、スキンシップのように肌をゆっくり撫でるような刺激に反応し、腹側脊髄視床路を通り、愛情などのポジティブな感情を喚起させるはたらきがあると考えられます。

患者の皮膚に対してゆっくりとした撫でるようなマッサージを行い、遅速C繊維を通して心地よいと感じる刺激をインプットしていくことは、リラックスした状態を作り出し、情動系の状態を改善させて、疼痛の閾値を正常化させる効果があると考えられるます。机の角に足をぶつけた時に思わず足を撫でたり、感情が高ぶっている人をなだめたりする際に背中や髪の毛を撫でたりするのも遅速C線維を刺激していると考えれば、スロータッチの効果は十分に期待できますよね。